「西洋医学」は古代ギリシャに端を発しています。しかしその後、ローマ時代になるとキリスト教会の力が強くなり、病気に対する考え方も宗教的な影響から、人体に物理的な力を加えることを禁止されました。ルネサンス時代に入って、徐々に実証的に研究が始まって近代医学の基となりました。
古代中国で誕生した中国の医学は「中医学」と称され、それが日本、朝鮮、台湾へ伝えられることで、現代の日本では「東洋医学」と呼ばれるようになりました。シルクロードを通じて仏教が日本に伝わったのと同じように、「東洋医学」も日本独自の発展を遂げました。
1543年の鉄砲伝来とともに、宣教師によって日本に伝えられたのが、日本における西洋医学の始まりとされています。その後、医学書の翻訳や蘭学の発展を通じて、徐々に日本国内にも西洋医学が浸透していきました。
江戸時代には、中国から伝わった漢方医学とともに、長崎のオランダ商館の医師を通じて伝えられた蘭方医学の「解体医学」が杉田玄白らによって翻訳されました。さらに、華岡青洲は母親と妻を実験台にして、母親は死亡、妻は失明といった不幸を乗り越え、世界で初めて麻酔を用いた乳がん手術に成功しました。この出来事は有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』で広く知られるようになりました。
江戸時代までは漢方医が日本の医療の中心でしたが、明治維新後は、西洋医学を学んで医師免許を取得しなければ、医師として名乗ることができなくなり、「西洋医学」が主流になりました。
明治政府は、「文明開化」政策の一環として特にドイツ医学に基づいた西洋医学を国の標準医療として採用しました。
医術開業試験の実施: 1874年(明治7年)に医制が定められ、1879年(明治12年)には全国統一の医師免許試験(医術開業試験)が導入されました。
東洋医学の排除: この試験の科目は物理学、化学、解剖学、生理学、病理学、内科、外科、薬剤学といった西洋医学の科目のみで構成されていました。そして漢方医学だけを学んだ医師は法的に医師として認められなくなり、漢方の道は閉ざされました。漢方医たちは「医術開業試験に漢方の一科を加えること」を求めて全国的な請願運動を展開しましたが、帝国議会で否決され、最終的に運動は終結しました。
これらの政策的な措置により、東洋医学は日本の医療制度の主流から外れ、一時的に著しく衰退しました。
現代日本では、東洋医学は完全に排除されているわけではなく、むしろ復権の歴史をたどっています。
復権と保険適用: 1967年(昭和42年)に一部の漢方エキス製剤が公的医療保険の適用対象となったことで、漢方治療は広く普及しました。
現代医療との併用: 現在、多くの西洋医学の医師が漢方薬を処方しており、東邦大学や北里大学など、東洋医学を取り入れた診療科や研究機関を持つ病院も存在します。
日本東洋医学会: 日本東洋医学会のような専門機関も存在し、漢方専門医の認定などを行っています。
長く続いていた「漢方医学」は漢方薬だけでなく、広い意味では鍼灸なども含み、現代の日本人に無くてはならないものとなっています。また、1976年に漢方薬が健康保険の適用となったことで、今では医師による漢方の処方も増えてきています。現代では、漢方の薬物療法と鍼灸などの物理療法も併せて「東洋医学」と呼ばれています。